無意識の中にある意識

有象無象の石ころみたいなもんです

小さな贈り物

小さな町のある1人の男の人の物語。

彼は、何か特別に秀でてている人ではありませんが、強いて言えば、笑顔の多い人という印象でした。

 

 

今日もいつもと同じ日常を過ごしていました。

でも、ほんの少しだけ、疲れが溜まっている様子。

体がちょっと重いような、何だか眠気が取れないような、そんな僅かな違和感を感じました。

「大丈夫、疲れがちょっと溜まってるだけ」

そう言って、何事もなかったように日常に戻ります。

 

またある日、この前と同じような違和感を感じました。

「大丈夫、何も心配ない。すぐに良くなるよ」

そう言って、またいつもの日常に戻ります。

 

でも、その日から少しずつ、彼も気付かないぐらい小さな綻びが彼を蝕んでいきます。

「何か調子が悪いなぁ」

いつもと同じ生活をして、いつもと同じ笑顔で過ごしてるのに、心だけが取り残されてしまってるような、自分だけがここにいないような、そんな感覚です。

そして次第にそれがモヤになり、霞になり、霧になり、心を見失ってしまいました。

 

「大丈夫」

言い聞かせるように言葉を発しますが、根拠も自信もありませんでした。

「大丈夫、笑えるんだから」

顔はいつもの笑顔ですが、悲しいことに本当の笑顔が思い出せません。

「大丈夫、悲しくないから」

でも、悲しいという気持ちすらも見えなくなってしまいました。

「……」

大丈夫、その言葉でさえも黒い霧が喉の奥の方に引っかかって、出せなくなりました。

 

「まずは深呼吸をしよう…スーッ……」

でも、深呼吸のつもりが深いため息に変わります。

「もういっそのこと、このモヤモヤもため息と一緒に出ていってしまえばいいのに」

 

 

やることなすこと全てが空回り。

やる気はあるけれど、体を動かす信号は止まったまま、泣きたいけれど、涙は心の奥底に沈んだまま。

「何でこんな気持ちなのに、笑顔が出せるんだよ…」

それは、彼なりの精一杯の助けて欲しい、という合図でしたが、周りからは「いつもの笑顔」としか認識されませんでした。

 

「誰にも理解されることはないな、もうこのままでいいや」

彼は抗うこともすがることも、とうとう諦めてしまいました。

 

そんな気持ちのまま過ごしていると、1人の少女が友達と楽しそうに話しているのが聞こえてきました。

その少女の声は、幼さのある声でどこか儚げでしたが、彼にとってはなぜが居心地が良く、心に沁み渡る声でした。

彼は少女たちの会話にひと時の安らぎを感じ、癒しのBGMとして耳を澄ませていました。

 

ふと、会話の中でその少女が「大丈夫だよ」と発すると、黒い霧に覆われていた彼の心に一縷の光が突き抜けていくのを感じました。

慌てて少女の方を見ると、屈託のない笑顔で友達に「大丈夫、大丈夫」と声をかけていて、その友達も自然と笑顔がこぼれていたのでした。

 

彼が今まで自分を戒めるためにかけてきた言葉と同じ言葉なのに、少女の言葉はそのしがらみをそっと解いてくれる、温かな優しさを纏った言葉でした。

「そっか、『大丈夫』っていうのは、自分に言い聞かせるものではないんだな。

 相手の気持ちに寄り添う優しい言葉なんだな」

彼は、少女が贈ってくれたその小さなふわふわした言葉を、割らないように、丁寧に丁寧に掬って心の中にしまいました。

 

また心が蛍みたいにポワっと光るのを感じると、ふと、心が曇ってしまった時のことを思い出しました。

「そういえば、周りのみんなが『大丈夫?』と声をかけてくれていたな。

 優しい言葉を無視してっしまっていたんだな、悪かったな…」

彼は後悔し、申し訳ないと思いながらも、大丈夫、次からはきっとその言葉が聞こえる、心を明るくして決心しました。

そして、『大丈夫』の言葉を自分ではなく、周りに伝えていこうと。。

 

 

 

『大丈夫』…彼にとっては、特別でもないありふれた言葉、いつも耳元で囁いていた言葉でした。

でも、とある少女が口にした『大丈夫』は、彼にとっては特別で、初めて聞いた言葉になりました。

綺麗ごとだとしても、それが一つの小さな贈り物になって、誰かの心にきっと届くのです。

 

彼はもうその少女と会うことはありませんでしたが、いつまでも少女の言葉が心に灯り、自分に「大丈夫」を言わなくなったそうです。

そして彼の言葉と笑顔が、周りを明るく変えてくれるようになったそうです。

 

 

「大丈夫」じゃなくても大丈夫。

一言だけでもいいから、声をかけてあげてください。

ちっぽけな言葉でも、その人にとっては代え難いあなたの言葉として届くと思いますよ。